この前行った若者向けの服屋に、かつてすごいハマってたレトロゲーのTシャツが売っていた。見た瞬間ドツボを射抜かれ、理性を失い、速攻買いしました。
良い年してゲームのTシャツかぁ…と少し恥ずかしかったけど、それを超える好きがあり、良い買い物をしたなあと嬉しみを感じたのでした。
そして、その気持ちを噛み締めてるうちに、あることに気づいたんです。
X(旧ツイッター)上で好きなゲームやアニメについて語りこむ人たちは、一つのことに一生懸命です。人生を全力で生き、きらめいて見えます。私もかつてはゆるいオタクの1人でしたが、いつしかその熱は日常のタスクに奪われ消えていきました。しかしまだオタクではいたい。火をまた灯してくれる、なんらかのヲタクコンテンツにのめり込みたいと願っておりました。
あのキラキラした人たちの中に混ざりたい。
絵を描く情熱を取り戻したい。ファンアートとか妄想とかかいて、ニヤニヤしたい。
しかし沼は入ろうと思って入るモノではなく、探し求めるとなんか選んでしまう。ネットフリックスで溢れるアニメのどれ見ていいかわからない。時間もない。見ても数話、続きは気になるけど忘れてる。
どれ見て良いかわからないと言ったけど、話題として大々的に推される作品もあります。
それに対してはなんか広告宣伝に乗せられてたまるかと思う気持ちで見てしまいます。そして自分が昔見た作品と比較して文句をいいます。面倒だなぁ。
感受性が全く別に向いちゃってるのに、アニメ見てそれが自分に向いてないって文句言ってるんです。
今の世の中大人もアニメ見る事を否定しない空気になっているけど、アニメ作品自体は若者向けに作ってるのは変わらない。
そりゃ感性がズレて当たり前なのに、自分に向けた作品がない、最近のはつまらない、探すなんていうのは視野が狭いなと気づきました。
それでも今までオタクだったのは、ファンの繋がりができやすいというのもあります。友達少ないから友達欲しいし、繋ぎとしてゲームやアニメの話題って便利だったから。
でも話題合わせのためでも、ハマれない以上、無理に話題のオタク作品を追いかける必要はないのではないか、という結論がでました。
素直に前好きだったものをまた好きでいたり、他のものを探してみようと思いました。
でもやっぱり大好きなので、買ったFF5のTシャツは大切に着ます。