ヤカの感想

読書とかの感想と、ちょっとの雑記

神は見返りを求める

ネトフリ映画 これ見ました

YouTuberを目指す女の子と、応援をする男の話

 

以下ネタバレ

 

 

 

いやァァァァァァ!!!

もうなんかユリちゃんが、すごい

ほんとよくここまで嫌な奴になれるな!!!

ユリちゃんてめぇ!30分以上ずっとこの調子こき女にイライラさせられるぜ!

メイクと髪型で一気に垢抜けるのは確かにすごいの、一気に可愛くなるんだけどさ、確かに

 

テンポ良いカットの連続で田母神さんを陥れ、煽りに煽り、周りの有象無象はともかく、ひたすら田母神さんが辛い目に会い、ユリちゃんは言葉の端々がとにかく嫌な女のセリフをこきまくる。早くこの女が返り討ちにされろ…と負の感情で見る、その時間がつらい。あとこの感情の不思議なところは、おそらく真の黒幕はユリちゃんのつるんでた映像作家とか、あのコラボユーチューバーだと思うのだが、あんまりそこには恨みの感情がいかないんだよね。あくまで恨むのは彼女。おっかけっこのシーンとかは、確実に男女の力関係が明らかになり、ユリちゃんが被害者の構図になった。

徐々に後半でこの恨みの感情を田母神さんが昇華してくれるのだが、そのおかげで、見る側も心が少し楽になれた。

 

もうゆりちゃんのこと忘れて新しい人生を歩めよって思ったところであの展開

あの展開は正直辛い

もう田母神さん幸せになってくれよ、痛いシーンで痛い目にあわないでくれ、あと叫び声が悲痛すぎてみんなビビるの本当すごい、これコメディじゃないだろ、哀れな男を笑うには悲壮感とマジものさが出過ぎてんのよ

あと田母神さんが公園で動画撮ってた時イチャモンつけてきた青いジャージのおじさん何?いるけどさああいう狂人も どういうこと?

 

ひとりビールを飲む横顔がいい感じなんだよ

ムロツヨシってかっこいいな?

 

 

悪霊

ご無沙汰になってしまったが,

これ読みました

 

ドストエフスキー罪と罰が本当に好きで、貧しき人々もめちゃ良かった。で、からの、悪霊なんだけど、これ

 

 

HUNTER×HUNTERの王位継承戦だよこんなの

 

登場人物が多い上、みんなが各自の思想で動く。あと説明の関係上文章上の時系列が前後する。この時間が前後すんのはまだ頑張れるんだけど、この…めちゃくちゃ多い人間たちの…人間たちの全員が腹に一物もっており、しっちゃかめっちゃか自分たちの心のままに動く!

 

不安定な社会情勢の中で静かに芽を出した凶暴で悪意を孕んだ意識が、ロシアの上流階級のコミュニティにはいりこみ、不穏な空気を撒き散らすやつ、陰気なやつ、この不穏な空気をわかった顔して煽るやつ、情報通ぶりたいやつ、現実見えてないやつ、人間嫌いで思想強いやつ、彼らの間でエコーして大きくなっていく。

 

主人公があまり見受けられず、大勢の人たちがこの伝染病のような目に見えない悪意を反響させてることがこの作品の中心なのかな、って思った。

悪霊にとりつかれた豚の群れが自滅する流れそのもの。

 

この悪霊(と、当てはめていいのかな)、作中で言われるシニシズムというかんじが近いのかなと思う。ただ現れ方がみんな違って、ピョートルはだからみんなぶっ壊したる、ニコライはそんな自分すら含めて虚って達観してる。キリーロフはそうならないが、そうなるべきと思ってる。シャートフだけはちょっと違う位置にいるかも。

ステパン先生は良い時代の人だから、理解できず理想を言う。たぶんこれがピョートルにはめちゃくちゃムカつくんだろうな。

 

 

 

一人一人が人間めちゃ強なので、あまり絞って感想を書けない。あと正直ちゃんと理解できてない。思ったことを人間ごとに箇条書きしてゆく。

 

ワルワーラ夫人…包容力と支配力の鬼、究極のお局

この作品の中で漢気が一番あるが、この偉大な母の支配から抜け出すのは確かにキツそう

何気に女子たちを大切にするとこ好き

ソフィアに言い捨てるシーン痺れた

一番ロシアを守ってるのがこの人

 

ステパン先生…弟タイプでめちゃモテたんだろうな…すごく素敵なことを言う反面、人間性がダメダメで母性をくすぐられるタイプ これはワルワーラ夫人が気にいるに決まってる

理性的に思われてるけど、この人が一番感情のまま生きてないか?

 

スタヴローギン…一番ドストエフスキーに近い人なのかもしれないと思う

自認と他者からの評価がズレすぎて壊れてる

本当の自分を明かせる人が本当いなかったんだろうな!

容姿も金も地位もあり、罪すら許されてる人間だからの悩みで、余りにも天上すぎて彼を理解する奴はこの世に誰もいないのだ…根はめちゃピュアなのに、価値観が善悪すら超越してんのが致命的。でも、告白を見るに少しの良心と自己愛はあるような気がする。生きてるだけで加害者になることに苦しんでる感じ。

 

ピョートル…悲劇増幅装置。悪意でしかうごいてなくないか?よその国のスパイか?彼だけは苦しむと言う感情がスタヴローギン関係除いてない気がする。人を馬鹿にするのが娯楽であり、何が悪いかわかんないタイプ。捕まっても反省とかできないんだろな…あと本当は思想なんかなさそう…状況でコロコロ変えそう 

 

キリーロフ…凡人がたどり着ける限界値の狂人、オモコロチャンネルでいう加藤ポジション

一番鋼の意志を持っていたと思う、狂人って言われてるがスタヴローギンやピョートルより人間できてる 作中の評価低すぎだと思う

 

シャートフ…後半の流れ綺麗すぎてなんかもう でも途中キリーロフと区別つかんくてごめん

この人もちゃんと考え方を持ってたし、この作品の中で珍しく良い人間としてかかれてたと思う。

 

リーザ…狂人スイッチはいったらフルスロットルになってる人 健気なヒロインだと思ってたのに一番裏切られた

 

マリヤ…狂ってるようで唯一スタヴローギンの本質をついたという一点ですごい人

私はこう言う登場人物が好き

 

レビャートキン…ワルワーラ夫人ちで演説してみんながあちゃー😣ってなってるシーンが好き

 

ユリヤ夫人・レンプケー…普通の人間ぽいのに少し馬鹿にした描かれ方をしており、じわじわとレンプケをいじめるピョートルがネットリ書かれてる辺りが一番読むのが辛かった

 

レーニン…めちゃくちゃ馬鹿にされるために出しててうけた カツレツ食べてたシーンが印象に残っている

 

 

こう見ると、もう登場人物出した時点で、ある種みんな平等にこき下ろされてるんだよな…

なんかこの、みんな平等に愚かって感じにスタヴローギンニズムを感じる

全体に毒が強い

こう見ると、語り部のG氏もすでに渦の中にいるのかも

 

不安の煽り方や登場人物の考え方の一部は、現代でも普遍的にあるもので、昨今の世界情勢のなかでまた悪霊に取り憑かれた豚たちは増えつつあると思う

 

色々辛いんだけど、光り輝くピュアな信心深くていじらしい女性がいないのもきつかった。

リーザに期待したらこの人大概すぎて死んだ。

最後の聖書売りの方が来た時私ステパン先生と同じくらい救われたもんな…。

その代わりにいるのが化物の母であり女傑のワルワーラ夫人っていうのが、悪意に打ち勝つのはこういう人っていうことなのかもしれん

 

なんか晩年の大作!って感じで、難解だったけどドストエフスキーのらしさも味わえて良かった

全員が納得いかないラストになるのが後味悪すぎて本当最高(最悪)!

ピョートル逮捕されろ〜〜!!!

 

 

 

 

戦争は女の顔をしていない

これ読みました

 

 

作者の執念を感じる。

第二次大戦に参加した女性兵たちの証言記録。ロシアという国で、証言を集めまとめる事に精神的に・社会的にどれだけの苦労があったか…。彼女たちが沈黙を破り語る思い出話は、耐えらないほど重い。聞くだけで耐えられない現実を、実際に体験して、戦争が終われば黙って一人抱え続けてきたのだ。

 

内容は呟きのような回想録集。高校や大学に行くはずの人生を、戦場のなかで過ごした記録。

 

各々場所も思想も違うけれど、花のうら若き青春を、大きな戦争の中で過ごしていった事は、その後の彼女たちの心を大きく変えてしまっていた。血や死体、悲惨すぎる現実の中で、祖国のためにと働く少女たち。彼女たちは己の心を作り変えながら、女の部分を殺し、戦争のコマになろうとしていた。

 

その、己の整合性を崩してゆく過程の、なんと感受性の豊かなことか。この感覚が、きっと男性兵士との大きな違いなんだろう。

 

この感性のまま、死体を、血を、飛び出した内臓とうめき声を浴び続けることの残酷さ。割り切り男達の中て兵士となった覚悟の強さ。どの心にも憎しみと悲しみ、優しさが熱のように吹き荒れている。

 

これが戦争のきっと一番恐ろしいところなんだろうな、と思った。人を極限まで追い詰め、憎しみも悲しみも愛情も数倍に高めてしまう。社会全体が躁鬱病になっているのだ。狂わない方がおかしい奴、となってしまうのだ。

 

この感情の起伏、これに感動して、いろんな気持ちが奮い起こされる。

ただ、これはあくまで資料であり、ドラマとして消費してはいけない。

なのにあまりにもドラマチックで、きっとこういうのに自分の人生との落差から刺激を感じ、戦争に憧れてしまう人もいてしまうんだろうなぁとも思う。

 

戦争を始めるのは男であり、英雄になるのも男であり、その男の偉大な物語に、ほんのちくりとでもこうやって証言があったことが、戦争の別の面を見せてくれる。

からしたら、きっと巻き込まれたら防げない。

男になるしか道がない。

 

 

 

 

 

 

暇と退屈の倫理学

これ読みました

 

暇と退屈について各々の哲学者たちの考えていたことを書き出しながら、暇・退屈という心理の本質に迫って行こうという試み。

この人はこう考えた、という解説をしながら、作者が「でもその考えって、この部分でおかしくね?」みたいなことをハッキリ切り込んでいて、ただの羅列にしていないところが良い。

 

 

「暇ではないが退屈」パーティに誘われて参加したんだけどそこはかとなく退屈っていうとこ、第二形式と呼んでたやつ、あれがおそらく今の人たちの多くが当てはまるやつだと思う。

 

でもじぶん、なんとなくこの第二形式の退屈さって好きな人といれたら全然感じない気がする、ビミョーに付き合いが必要だから行ってるパーティだったら退屈かもって思った。仕事だし。

でも微妙なところだなー、振り返ってみて確かに似た退屈感じることあるんだけど、なんだろなー、ディズニー来たけどなんかとりあえず疲れたのに座るとこなくてダレてきた時?とか?

 

 

その後の消費に関わる話、気晴らしをひたすら提供されている社会の中に自分がいるので感覚が摩耗してるのかも。退屈について考える間もなく流行りのドーナツ屋の情報を入れられる。食べにいかなきゃもったいない、って食べ行って、で、次はこれ、次はそれ、ってされてる。暇にならない。これは退屈と虚しさが混じってる。でも最近は疲れてきたので、もう流行りじゃなくて良いな、たまにはそれでいいか、となりつつある。消費者ではなく、すこしずつ自分の感覚で好きの取り込みができるようになってきた。

なんだろ、できることとできないことの線が見えてきたっていうか。

 

私の史上の楽しみ、幸せって、たぶんストーブで豆がうまく煮えているのをながめる時とか、ヒヤシンスの球根が花をつけた時とか、うまいデッサンに集中できた時だ。すでに基準を持っていて、だから本質にはお金って概念はかなり関係ないって知ってる。毎日美味しい豆を煮て、庭をきれいにして花を咲かせたい。そこには心地の良い退屈な時間の使い方があるだろう。

 

こんだけ難解に説明もらっといてすごいシンプルな結論なんだけど、読んだ後の感想は結局そうよね、って思えた。少し背中を押してもらった気もする。モリスの思想は私も大好き。アーツアンドクラフツ、いいよな。理想だ。

 

狩猟民になってみようと思う。宵越しの金を持たず、心と豆に素直に生きてみる。

 

成城石井のクッキーを好きな時に買えるくらいのカネがあればええ…

 

初めての構造主義

これ読みました

 

 

まえ酔っ払ってブックオフ行った時に買った数冊のうちの一冊。出会いはアレなんだけど、えっとほんとに構造主義、そうなんだぁ…って大体形をわからせてくれる良本でした。

いや、だが構造主義わかったかどうかと言われると自信がないけど。

 

この構造主義のエッセンスを理解するには背景にいくつかの言語学、数学、科学史の流れがあって、それが大体こう組み合わさってこういう考えが出てきたらしい。つまり、かなりジャンルを渡って前知識が必要なわけだ。

その一つ一つを解説しながら、レヴィ=ストロースの考えを読み解いていく。

 

中学生も読む前提で書いてくれてるので、難しい内容の部分の全てにわかりやすいよう配慮がなされており、かつYouTubeのお手軽教養のような雑さはない。難しいところもきちんと解説付きで説明してくれる。

交差イトコとかのとこは少しメモを取りながら読んだ。

 

よく、悲しき熱帯のアレとか構造主義の元祖といわれるレヴィ氏。構造主義ってのも、70年代くらいかに西洋世界にセンセーショナルを巻き起こした考え方で、ジャングルの人って豊か、西洋1番って考えおかしいぜとかそんな感じらしい、というくらいしか知らなかったけど、そこらへんがストンと収まりました。

 

意外と批評に使われるようになったっていうのは面白い。そしてこの文章や文化、言葉にならないところを平面でなく立体的に捉える手法ってなんか近年のプログラミングみたいだな、って思った。なんか上手くいえないんだけど、言葉や事象の繋がりが3Dグラフになってて、立体的に形作ってなにかの造形物になるイメージ、なんだか人工知能とか、そういうのの発展にも繋がってそうだなって思った。

 

そんで、ひとの社会の根っこを構造として捉えて鑑みたとき、この現代における交換システムってどう解釈されるのかな?っていうのが疑問に思った。それはあれ、健康的に機能してるのかって意味で。これはもしかしたらレヴィ氏の書籍にあるのかもしれないけど、なんか読んでみた感じ構造オタクでそこにはあまり触れてなさそうな気もする…

そこから触発されたポスト構造主義の方が書いてるんだろうか。わからんけど。

 

巻末に興味を持った人のためのおすすめ本があったので、気が向いたら読んでみよと思う。

 

しかし、ほんとに哲学者の人の頭の中って宇宙だなぁ…とんでもねぇ教養だ…

これをこんな簡単に読ませてもらってええもんなのかしら。まあ理解しきれてないから、いっか…

 

 

 

スマホのない日・鳥展

友人宅に遊びに行き一晩過ごし、そのまま上野の科学博物館の鳥展を見に行った。

スマホの電源が切れててそのまま行った。

上野に行く途中、電車が事故で止まった。周りがスマホを出す中暇を潰せなくて外を見ていた。地図もなく案内板を頼りに行き、入場整理券をもらう。常設展をみながら2時くらいに入場できた。

鳥展、人多い。展示パネル見えないから人の隙間から覗いたり、ほぼ滞留してる流れに乗るか。でも展示めちゃ面白かった。

 

はじめに鳥の特徴、次に遺伝子解析による鳥と恐竜との関係の再まとめがあり、そこから目別に鳥の剥製と説明が置いてある。

鳥の地球上における立ち位置がかなりユニークで、哺乳類とは違うが、哺乳類に負けないくらい豊かできれいな生き物だと思った。

地上にいると四つ足の生き物に触れる機会の方がどうしても多くなるが、木や空の上でほぼ見る機会がないだけで、そこには豊かで複雑なかれらの世界がある。

 

目別にまとめてあったのも新しい発見があった。つい図鑑だと水辺、都会、とかフィールド別にまとめてあることも多いから。自分はカモやキジのなかまが好きだなって思った。

のんびりしているし、愛嬌のある顔が多い。

あとゲノム解析?から種を辿ると、なんだかいくつかの共通点からよくもまあこんなに多種多様に進化していったなあ…と思ったりした

 

イカしてたとこまとめ

・ちばえなが

シジュウカラ言語の話

・渡り鳥、地球の半分くらい平気でまわる

カイツブリさがしたい

やげん軟骨の偉大さ

はやぶさはかっこいい

・フクロウが強すぎる

・フウチョウ異次元

 

 

あー鳥、鳥、好き。もっと鳥という種のこと愛したいな、てかこんな素晴らしい生き物いる世界、超素敵だな。

 

帰り世界の山ちゃん手羽先食べて帰った。手羽先の骨の中は空洞で空を飛ぶために機能的に進化していた。こんな素敵な生き物、美味しくなる方向に進化もしおって

手羽先は甘辛くて酒が進み本当に美味しかった。6ぽんも食べちゃった。

動物化するポストモダン

これ読みました

 

 

やだ面白い 噂に聞いてたけど本当に面白い

20年前?これ書いたの?ホエェー!

 

なんとなく自分がオタク文化にうっすら抱いていたなんかモヤモヤした部分がこんなに綺麗に言語化されて落とし込まれると、すごい痒いところをかいてもらったような気持ちよさがある。自分らが生きてる時代の中のそれ、周りに過剰に溢れるアニメや漫画のそれ。

 

色んなオタクに読ませたい。そんで感想聞きたい。そんでけちょんけちょんに文句言ってるの聞きながら感想トークしたい、それができる、良本ですな…。

 

 

アニメや漫画の共通言語を通じてコミュニケーションとる方が全然楽なんだよね、なんて思ってたら、その中でしか本当に人と触れ合えなくなっちゃった。表層的で、好きなキャラの話ならいくらでもできるけど、その向こう、人と人とのやりとりの部分になると急にわからなくなってしまう。経験がないから。その穴埋めとして、ゲームや漫画の中で、話すキャラクターと擬似的な慰めを得る、でもそれは虚構で人間じゃない、以下繰り返し。

 

天の神様もおらず、大きな会社や国のためになんて大義が消えて、何のために生きてるのかまじでわかんなくなった時代に、まるでその孤独や歪みを埋めるように虚構を作り上げ、その虚構がまた形を変えていく。

オタカルチャーの遍歴を戦後アメリカから遡って説明するの、ある年代に偏ってなくてほんとに良い。ひどい新書だと自分の世代からの目線でだけものを言うが、ことヤバげなアニメ世代界隈においてここまで俯瞰して分析してくれると大変信頼できる。

 

アニメや漫画のオタカルチャーって、人の心の歪みを受け止める存在だなっていうのは初音ミクが神様みたいに崇められた時に何となく感じてはいた。でも、こんなにオタク産業が巨大化したのは、人の心と社会とが迷い続けてきた結果であり、この本が書かれて20年たった今、やっぱりそれは加速し続けている。今読んでもこの流れは完全に当たってるからすごい。与えられるとめどない推しに飲み込まれ、動物のように貰って消費し続けるワイはいかんあかん、どないすりゃよいのだろうか。

 

これが書かれた当時はまだSNSが出ていなかったのだけど、このポストモダン的な二重人格者の像は、平気でSNSで誹謗中傷をすることができる人々の心理にも当てはまりそうだ。それに、私が思うに、政治関係でここら辺の人が過大になりがちなのはそこに彼らの、作中で言う「大きな物語」に近しい部分があるからではないだろうか、と思う。

ここら辺、続編が出てるらしいから読んでみたら解説してくれてるかもしれない。

 

しかし、後半部分にあった見えるものから見えないものを辿る過程がインターネットと本で違うから、それに伴い大衆の心理や受け側も変わっていくって考えも面白かった。表層的になるってやつ。それなら、今のような、片手に皆スマホを持ってしまった人たちは、知らぬ間にまた外部的な外付け人間になっているのかもしれない。いや、私は既にインターネットと自我の境目がかなり曖昧になっているのかも。データベース動物に成り果てているのやもしれない。

 

情報は当時よりさらに小分けにされ、砂粒のようになってしまった物語の中、最近はAIが勝手に情報をわかるようにもなってきた。動物化が進めば、我々は簡単に何かに操作されるだけの、ほんとに何のために生きてるかわかんないやつになってしまうんだろう。いや、何のために生きてるかと考える自由すらそこにはない。

 

怖い。山に帰りたい。