ヤカの感想

読書とかの感想と、ちょっとの雑記

と、ゆえども

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

今、職場の中にいたくなくて、お昼外のベンチで弁当食べてるんですけども。

眺めてると街中、人間いっぱいいるじゃないですか。観劇後ぽい赤い服のおばさま、道に立って人間観察してるおじいちゃん、友達同士笑い転げてる若い女の人、スーツのおじさん、ピンクのネクタイのおじさん、なんか知らんが悲しい顔のおじさん、学生さん、おじさん、怖そうなおばさん、おじいさんみたいなおじさん。

こんなにいっぱい人間いて、また人来て、過ぎてって、この今すれ違うこの人、人って、私とおんなじように、なんかして生きてってんだよな、働くなり学ぶなり遊ぶなり。風景の中にあるビルやマンションの、無数の区画の中にも見えないけどきっと、おばさん、おじさん、偉いおじさん、ヤバい若者、えっちな女の子、頑張り屋の外国人、人間、人間がいるんでしょ、そんできっとそのみんなが色々考えたり思ったりしてるんだよね。

それってさ、考えるほど怖いと思う

理解が及ばな過ぎて

 

一生考え続けても無理じゃん

銀河や宇宙、無限、自分は一生懸命生きてるつもりだけど、しょせん砂の一粒程度のものに感じる。他の人もそう思える。

なんか孤独とも違うんだけど、孤独に近い。自分以外の人が、本当にいるのかな、なんか考えてるのかなって思う時がある。わかるのかな、わかってくれるのかな、哲学的ゾンビって言うやつかも。理解が追いつかないゆえに、自分以外の人間はロボットな気がする。

 

でもそんな時、すれ違う大勢の中の、一個の人間の内面だけでも覗けたら、ちょっとだけ安心すると思うんです。この人はいる!!!みたいな。ブログは、今日すれ違った程度の誰かの頭の中を覗くようなものなんじゃないでしょうか。

 

↑の感覚があるから、私は知らない誰かの日常ブログを読むのが好き。自分以外の人がものを考えてしゃべってると思えるから。ただ酒飲んでハッピー😀って記事とか好き。好きだから。

 

なので、書くときもそんなつもり。

見ず知らずだけど偶然受信する誰かに向かって、嘘偽らず、自分の脳内を発信している。

自分はこんなん思ってまーす、って発信して、その電波を誰かが受信するのを待っている。それは誰かのためでもあるけど、自分で発信、受信できることを確かめる部分もあるのかも。

この言葉、伝わるかな、みたいな。

もっといい書き方があればもっと伝わるんだけど。

 

今日の自分はこうでした。こんなことを考えました。おたくはどうですか。テンションも上げ下げし、数行でメチャクチャな時もあれば、聞いてほしい時はそれっぽい形に整えている。そっちの方が頭の中覗いてる感あるから好きだ。実は今はもうお昼なんかとっくに食べ終わっててさ、今は帰りの電車の中なの。満員で、そんでやっぱり、周りに人、めっちゃくちゃいるの。みんなスマホいじってるね。これ書いてる私もだけど。

 

 

よその、偶然会った、小さな日常ブロガーさんが言った言葉が印象に残ってる。

自分の心をバズる用に飾って、共感を求めるものにしたくない

と書いていた。私の感動は私だけのものにしておきたいと。それをわざわざ発信するように書くのがとても良いと思った。その人の伝えない気持ち、それはその人のもの。でも、独り占めしたい気持ちはめちゃわかった。わかるよぉ〜!って⭐️した。彼女もきっと、砂漠でアンテナを立てるように物を書いてる人だった。受信して、救われてるといいな。